メディア掲載
ナゴヤ劇場ジャーナル152号 (2021年7月発行)
◇多彩な表現力、円熟の境地に感心 広野和子(ピアノ)
久しぶりに聴いた広野和子ピアノリサイタル(5月29日・電気文化会館)。円熟した境地に感心した。
リストの「ハンガリー狂詩曲第11番」や「2つの伝説」に、ドビッシー「前奏曲集・第1集」(全12曲)は、かなり重い内容だが、気負わずに集中力を持続、自然な演奏ぶり。
「2つの伝説」は2人の聖人フランチェスコの絵を基に作曲。「前奏曲集」は様々な情景を描写。それぞれのイメージを、いかに表現できるかが課題だが、それを見事にクリアした。
前者は宗教的な精神性、後者は「亜麻色の髪の乙女」など色彩感あふれる事象を、美しく響かせる力量の持ち主だ。
年月の経過とともに充実してきたのは、地道な努力の積み重ねがあったからだろう。
(5月29日・電気文化会館)上原 宏 評
中日新聞 2007.4.24(火)夕刊より
◇広野和子ピアノリサイタル
5月12日午後7時、名古屋・伏見のザ・コンサートホール。8回目のリサイタル。
ここ4回はバロックや近現代、邦人作品が中心だった広野=写真=が、
久しぶりにハイドン、ベートーベン、ショパン、リストの古典派・ロマン派を演奏する。
「一つ一つの作品を完結したドラマとして味わっていただければ。
べート-ベンの『熱情』では作者の心のありようを表現したい」と話す。
3500円。電話052(339)2212=イワサキエージェンシー。
中日新聞 2004年7月26日 朝刊
特別展に合わせ チェンバロ演奏
尾西の三岸節子記念美術館
尾西市小信中島の三岸節子記念美術館1階ロビーで25日、
開催中の特別展「郷倉和子・三岸節子展ー花・つどう」(中日新聞主催)
にちなんだ特別コンサート「花によせるチェンバロの調べ」が開かれた。
ピアニストの広野和子さんが、バッハのメヌエットなど計18曲を披露。
約130人の観客は古典的な美しい響きに耳を傾けながら、美術館の雰囲気を
味わっていた。
特別展は8月15日まで。月曜休刊。同美術館=電 0586(63)2892
音楽の友 2003年12月号より
~名古屋の演奏会から~
広野和子
7回目のリサイタルとなる今回は、前半にバッハの作品、後半に林光と
ストラヴィンスキーの作品を配し、選曲と演奏の両面で、ピアノ作品の諸要素での立体的な構成に光を当てた
意図が感じ取れた。「トッカータ・ニ長調」はバッハの鍵盤音楽の技法が凝縮している作品。
強奏での響きが重くなり、運びに比して若干音が遅れて聞こえる感もあったが、造形の妙を重厚に表出した。
コラール前奏曲(ブゾーニ編)の《目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ》《いまぞ喜べ、愛する信者たちよ》では
高い技術で、コラールの立体的な配置を、イギリス組曲第3番では各曲の特徴を捉えるだけでなく、
流れのベクトルが自然にかつ充実していた。
後半の林光《徳利小》は沖縄音階が線的にまた音響的に現れるが、
広がりのあるイメージが充分で、この日もっとも聴き応えある。
最後のストラヴィンスキー「ぺトルーシュカからの3つの断章」では音響配置の遠近感がさらに欲しかったのだが、曲のダイナミックな持ち味が発揮された。
(10月4日・電気文化会館)渡辺康 評
音楽現代 2001年7月号より
◆広野和子ピアノ・リサイタル
広野和子は、3~4年周期で定期的にリサイタルを開き、着実な活動を進めている中堅ピアニストだ。
今回のリサイタルは、ショパンの前奏曲嬰ハ短調、ソナタ第2番と、戸島美喜夫の『桑摘む娘』を
前半に置き、後半はスカルラッティの4つのソナタ(K208、209、513、517)と
ファリャの『「三角帽子」よりの3つの踊り』、『アンダルシアの幻想曲』という構成で、
様々な曲想に対する柔軟な表現力を発揮した。
広野の特質は、響きよりもむしろ作品の性格や個々のフレーズの表情を探り出すという表現意図の中に見出される。・・・・・ソナタの終楽章のような疾走する楽奏やスカルラッティでの、ち密なミクロコスモス的音構成においては、知的かつエスプリにとんだ好演ぶりだった。
戸島作品やファリャでの、性格的な音楽の捉え方は、作品との関係もしっくりしていて楽しかった。
(5月15日、電気文化会館コンサートホール) 水野みか子 評
朝日新聞 2001年5月30日 夕刊より
-気の利いた演奏で持ち味発揮-
広野和子(15日・ザ・コンサートホール)は前半にショパンのソナタ、
戸島美喜男の「桑摘む娘」、後半にスカルラッティのソナタとファリャの「三角帽子」より
3つの踊りと「アンダルシアの幻想曲」といったプログラム。
聞かせたのはファリャだ。スペイン独特の野生的で躍動感あふれるリズム、
それに混じってつんざくような地声で歌う民謡の歌声が高らかに響き渡る。
そんな情景を彼女のピアノはほうふつとさせる。描写音楽の楽しさを伝えるに充分な演奏であった。
スカルラッティのソナタも、この乗りの曲で統一したあたりはなかなか洒落て気が利いていた。
浅野隆・金城学院教授 評